古くは3000年以上昔
古くは3000年以上昔の殷代の甲骨文にも蝗害の記録が見られる。また、周代の詩篇『詩経』にもバッタ駆除の様子が書かれている。漢代になると記録が増え、紀元前175年(文帝6年)を始めとして、漢書、後漢書には20回以上もの蝗害の記録があり、後漢の思想家王充や官僚の蔡邕[も自書の中で蝗害について述べている。
語学・学校関連教育ジャンプサイト
水族館・旅行関連ツアー紹介
フレグランス・バストアップ関連コスメグッツネット
SEO対策・SEM促進関連マネー生活ガイド
探偵・旅行関連快適生活ナビ
アレルギー・薬学関連健康・医学倶楽部ネット
菜園・おもちゃ関連ショッピングタウン情報
資格・検定関連暮らしの教育ナビ
動物園・交通関連宿泊タウン検索エンジン
若返り・香水関連美容・コスメナビ
5世紀頃から政府の取り組みについての記録も増え、北史には北魏の文成帝の時代に官庫を開いて窮民を救済した旨の記述がある。唐代になって儒者から「祭礼を怠るから蝗害が起こるのだ」との意見が出たり(『新唐書』五行志三)、政治の要諦を説いた『貞観政要』には7世紀の皇帝太宗が蝗を飲み込んで蝗害を止めたと言う伝説が書かれている。715年に淮河流域で発生した蝗害に対して、当時の宰相姚崇が対策を命じている。記録も詳細になり、被害の様子や群れの移動の様子も書かれるようになった。
宋代になると本格的な対策が考えられるようになり、12世紀には朱子が晩に火を焚いて飛蝗を誘い込む方法を提案している。元代に書かれた『大元聖政国朝典章』には蝗害予防の方法が記されており、村(当時は社と記した)単位での管理や予防が共同体約定と言う形式で事実上義務化されていたことがわかる。ただし蝗害は依然として重大な被害を与えており、元朝崩壊の原因のひとつになっている。
明代になった1630年、徐光啓は著書『屯塩疏』の第3編を『除蝗疏』として対策を記し、後に『農政全書』に編入された。清代の1684年、陳芳生が『捕蝗考』を著している。清代には記録も増えており、正史以外の書物にも記録が見られるようになる。この清末の1888年には顧彦輯が『治蝗全法』を、同じ清代に『捕蝗要訣』と言う防除法を記した書物が作られている。
現代でも蝗害は無くなったわけではなく、2005年夏には海南省を飛蝗が襲っており、1平方メートルあたり350~500匹、飛来面積は220万畝に上っている